
12月25日に突如として仕事が舞い込み、正月返上はチトきつぃかと思ったのであったが、ギャラの良さにほだされてノコノコと花の都巴里に来た次第。着いたら次の日は仕事、3日後には帰京と言う強行軍。さっき着いたので、早速いつも泊めていただく知り合いのお宅に落ち着いた。仕事先から当てがわれてるホテルもあったのだが、昔ホームスティ風に住わせてもらっていた処のひとが是非にとおっしゃるからそのお言葉に甘える事に。
久しぶりの旅。年末の成田の込み具合には閉口したが、地の果てで迎える新年もなかなかに乙かと。到着したばかりなので本日はオフ。散歩を楽しむにはチョット寒いですネ。東京よりははるかに気温が低い。
それにつけてもインターネットを使ってこうやってると、時代の流れを感じる。ひと昔前までは外地に来ると、バカ高い料金を払って国際電話をする以外には、リアルタイムに通信する手段など何もなかったものだ。今じゃ電源と回線さえあれば、いつもの板にいつもの調子で書き込みが出来る。そうなると、あまり遠くへ来た気がしない。じゃ、長距離恋愛も可能かな?
生きていて行けない場所などない。
出来ないこともたいていは、ない。
なんでも出来る。
死んだ者のところへ行くこと以外は。
- 2006/12/31(日) 02:21:15|
- 日々是懊悩
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今日、下の方でもちょっと触れた教育基本法改正と、防衛庁を「省」に昇格する法案が採決・可決された。その内容の是非についてはここでは問わない。ただ、これに関してまたぞろ、「昨年の郵政民営化を争点として行なわれた結果獲得した議席を以て、政府与党は『数の論理』でこれを可決した。昨年の総選挙はほとんど郵政民営化だけを争点として確かに国民の審判を仰いで支持を得たとは言えるが、その時の議席数を以て、これらの重要法案を可決した事は如何なものだろうか」と言った論調が、案の定と言うべきか、出て来た。それも今度は、これもまた予測は出来た事だが、自分の憤懣を書きなぐって愚痴を言う今や2ちゃんねる化してメディアとしては没落した個人ブログ等ではなく、新聞、テレビ等の大手マスコミの中で、こうした言説を臆面も無く語る論者が見られた。
この方々は、御自らも大手マスコミ界に身を置いていながら、実は大手マスコミ自身が「郵政解散」とか「郵政選挙」とか喧伝した結果、一般に昨年の総選挙がそのようにイメージされる様になった事をご存知ないのだろうか。
確かに昨年の総選挙では郵政民営化の是非が声高に叫ばれたのだった。しかしこれら有名論客の方々は、その選挙用に国民にも配布されていた与党側の公約集、最近は「マニフェスト」と呼ばれる紙を、読んだ事がないのだろうか。だとしたら、マイナーな個人ブログではなくテレビなどで大々的にオピニオンを出来る論客としては、可成り怠慢な話ではある。或いは、これが怠慢の結果ではなくて、自説に説得力を持たせる為に敢えてこの紙の内容には触れずにオピニオンをやっているとしたら、それは悪質な言論である。
公約集には、郵政民営化以外にも、当の教育基本法改正や防衛庁→省昇格などの事項も、ちゃんんと書かれてあったのだが。それは今でも筆者の手元にあるが、ちゃんと書かれている事を再度確認済みである。
従って、今次法改正に反対するのは良しとして、その根拠を「郵政解散」選挙に求める事は、全くの筋違いであり誤摩化しであるだろう。
そして、公正な選挙で国民の審判を仰ぎ、その結果議席が決まり、その決まった議席を以て各種法案を審議、採決、可決又は否決する事を「数の論理」と銘打って疑義を呈するとするならば、代議員の選挙による間接民主主義そのものを否定する事に、必然的になって行くのだが、どうだろうか。
選挙で票を多く得た者が当選しそうでない者が落選する。当選した者が多く所属する党及び会派が政府を組織する。法案を提出し、審議し、然る後、採決する。選挙と言い、法案採決と言い、ありていに言ってこうした「数の論理」が全てを決定付ける事が、民主主義の基本原理の一つだ(無論それだけとは言わないが)。
この事そのものを「悪」の様にあげつらうのは、勉強不足の一部ブロガーであるのならまだしも、職業論客としては、その資質を問われる事だと思われる。
ある法案、或いは現在の政府の行動に、反対意見をする事はあって良い。反対意見が存在し、その事を自由に主張出来ると言う事も、民主主義の重要な原理の一つであるからだ。が、その論拠や論点を語る時には、必要な資料は精査するくらいの事は、当然しなければならない。その上で、必要なオピニオンを為し、然るべく世論を形成し、反対派が多数を形成すれば、次の選挙でその反対派が多数を獲得し、例えば今日の教育基本法を再度、反対方向に改正し直すことも可能となる。必要な資料をきちんと精査する事を怠り、偽メールに振り回された揚句、自らが痛い目に遭ったと言う出来事を、もう忘れたのだろうか。
なお、教育基本法は「教育の憲法」と呼ばれている。そう呼ばれるにはそれ相応の理由もあり、その事を理解する事には筆者もやぶさかでは無いが、それは飽く迄ものの例えであって、この下の方の記事で既に指摘したように、法理論的には、一般法律である。一般法律は、こちらはものの例えでない、本物の憲法の定めるところによって、過半数の賛成によって議決される。
ある事柄に対する反対派が、多数を形成すれば、憲法の定めるところにより、これらの一般法律を、再び、反対方向に改正する事が可能となる。選挙とは少し違うが、例えば「署名活動」で出来る限りの多数の署名を集める事も、事の性質としては同様の論理による。「数の論理」とは、そうした事柄なのである。
- 2006/12/15(金) 02:19:22|
- 政治経済歴史社会
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使えないなぞと書いていた割には、結局は数日前に拙作狭山事件サイトにCSSを使ってしまった。少しずつでも、文法にマッチするほうにシフトして行こうと思ったもんで。ただやっぱり、IEには無理ですね。ちゃんと解釈しない。調べればきっと、ちゃんと解釈させる裏技があるのだろうが、それも面倒なので、IE用には自動的に別ファイルに飛ばすのを、つまりこれも「のっけからそんな事したくないなぁ」なぞと思っていたくせに実施してしまった。暫くはコレで誤摩化そう。ウェブデザインを志す者にとって、ブラウザ間の解釈、表示の違いはもうほんと、昔から悩みのタネです。それが弱小ブラウザならば兎も角も、最大手銘柄なのに、今一等重要なCSS解釈にバグがあると言うのは、ほんッと、困ったモノでありんす。
個人的サイトでこういう事をしていると、結構仕事にも使える練習になったりする。だからチョット時間の空いてる休日に、こういう作業に時間を費やす事は小生にとっては、決して無駄ではないわけなのです。
お話変わりますがある読者から、メールで狭山事件関係の掲示板があってこんな事が書いてありますよ、と教えられた。一見して、そこは結構前にチョットだけ筆者も投稿した処とスグ解りました。「こんな事が」と言われても、たあいのない愚痴だけで、別にお報せして頂かなくてもよかったのにw、正直小生にはピンと来ませんでしたヨ。
掲示板と言うものも、旧来のオーソドックスなものから、ブログのコメント欄に至るまで、近頃ではいろいろですが、特に最近は2ちゃんねる化が進行している様子ですネ。職場や私生活の鬱憤ばらし代わりにご利用のご仁が多数。常日頃には表せない別人格になっちゃって(もっとも常日頃とあんまり変わらないと言う方もござっしゃるかも?)まそれはソレで良いのだろう。ネット上では「ネカマ」ト言う人たちがいるらしいですが、心理的には似た様なものなのでしょう。まあその程度でストレス発散になるのならこれはもう願っても無い精神療法かも知れませんし。ただ、勢いこんで嫌味を書き込んだはいいけど、ほとんど相手にされずに放置を決め込まれてるのを見て、ちょっと痛かったかな(笑。
- 2006/12/11(月) 02:16:41|
- サイト制作
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