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暗殺の天使

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Marie-Anne Charlotte Corday d'Armont 1768-1793

 十代のような若い頃には、自分が三十や四十を過ぎた姿などは想像すら出来ず、「そんな年齢まで生きるくらいなら死んだほうがましだ」と、若さ故の傲慢さで考えることがあるものだ。少なくとも、そんな思いを抱いたことがある人は、今ある程度の年齢に達している人の中には、何人かはいるに違いない。小生も、そんな中の一人であった。そんな、ある種の潔癖な若年的症状も、齢を重ねるに従って、消失してしまう。

 今や日々どこかで、誰かが自殺をしている。理由は人それぞれなのだろう。直接的な理由はともあれ、特に若くして死を選ぶ人には、微温的な今のこの国のどことない居心地の悪さがあるように考えられる。贅沢な理由と言ってしまえばそれまでだが。

 実はそういう理由で、殺戮がまかり通っている外地へ2年に一度は行かないと生きた心地がしないと言う時期が小生にはあった。それらの土地ではきれいごとや言葉の上での所謂正論など到底通用しない。ましてよそ者の異邦人が何を語ろうとも、聞く耳を持つ人間は居ない。全てが敵か味方かに分別され、日々凄惨な殺し合いが行なわれていた。復讐が復讐を呼び、奪われたものを奪い返そうと言う意志と、確保したものを未来永劫確保し続けようと言う意志が、衝突し合っていた。

 結果的にそして知らぬまに、小生はその土地土地のどちらかの勢力に肩入れをして、そのプロパガンダに精を出していた。これでもかと言う程にグロな写真を撮影し、要するに敵対する側の残虐行為として宣伝をする片棒を担いでいたわけだった。そのほとんどは欧米のメディアには売れないものばかりだった(つまりは日本でも)。そして、毎回怪我ひとつせずに帰国し、その事については何も語る事はなかった。かの土地とはまた逆の意味で、この国では小生の話など、聞く耳を持つ者が居なかったからだ。

 今現在のこの国の感覚で、暗殺者をたんなるテロリスト、「殺人者」として糾弾する事は容易い。時代背景や、それによって形成される動機を鑑みる事がないならば、デリカシーに欠けるとさえ言えるだろう。

 暮れにフランスへ小旅行をしていた時のこと、現地であれこれ便宜をはかってもらっていた人物と食事中の雑談の中で
 「歴史上(フランス革命の)で好きな人物は誰?」と尋ねると、
 「Charlotte Corday !
 と勢い込んで答えていた。
 ちょうど、日本で「幕末・維新で好きな人物」を聞くのと同じ感覚(ちなみにその方は小生、近藤勇ですが)。歴史上の有名人はほとんどみんな戦争や殺し合いをしていて、現代の感覚で言えばそのほとんどが殺人犯とか、大量殺戮者と言うことになってしまう。

 恐怖政治がまかり通っていたフランス革命の最中、シャルロット・コルデーは革命の中枢であったジャコバンクラブの大立物、マラーを暗殺。ダヴィッドの絵が有名。詳しい政治的背景は不明。一般的には、ジャコバン派と敵対していたジロンド党の支持者であった彼女が、恐怖政治=諸悪の根源はマラーだと狂信した事と言われる。暗殺三日後には当時の例に漏れず僅か三十分の裁判で即死刑、断頭台の露と消えた。享年24歳。

 *フランス革命に於いて革命裁判所により死刑執行された実数は、統計により幅があるが3〜4万人とされている。勿論これには革命中の争乱や戦闘による死者数は含まれない。また、革命中のどの期間に於けるものかも定かではない。が、仮にその期間を、1789年7月14日から(バスティーユ牢獄が襲撃された日。革命記念日とされる)1794年7月27日(テルミドールのクーデター。ジャコバン派が失脚し恐怖政治が終焉)迄とすれば、この間ほぼ5年間であり、死刑執行の実数は年間6〜8千人だったと見られる。
 他方、日本に於ける近年の自殺者数は、年間3万人を超える。
 
 *勿論、革命の犠牲者数と平時の自殺者数は(人口の相違も含め)単純比較は出来ない。

  1. 2007/02/07(水) 04:31:10|
  2. 政治経済歴史社会
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