
我が家のスピーカーは既に購入して二十数年。当時としては最先端のベリリウム(希少金属の一種)製ツィーターを装備してると言う、当時の小生には高価な買い物であった。最近またこれでいろんな音楽を聴く事が多くなり、結果まだまだ現役中。とは言え、一度低音部を全面交換している。加えて、どうも近ごろ右側のツィーターの調子が可笑しくなる。どうやらアッテネーター(スピーカーについてるボリュームつまみみたいなの)の回路の調子が悪いらしい。が、アンプのスイッチを入れてしばらく音を鳴らしていると、じきに元の美しい高音部を奏でるようになる。
このSPとともに、
A1と言うやはりYAMAHAの名アンプリファイヤーもあった(今もあるけど)。3年ほど前にDVDプレーヤーを購入した時に、このA1にはDVD専用入力が無いので、同時にAVアンプも購入した。逆に、AVアンプにはもはやアナログレコードプレーヤーの入力端子が装備されていない。なので、その旧式のA1は、レコード盤演奏専用に、これまたまだまだ活躍の場が残される事になった。
此のように、物持ちが良いと言うのが小生の特長である。その結果として、先日の部屋の片付けではいりもしない本だの紙くずのたぐいが大量発生して往生したと言う事実。この暑いのにもって来て、汗だくのホコリまみれ。

ちょっとそのAVアンプの説明書を見ながら、いろいろと調整をしてみたら、これがなかなか面白いのである。ソレをココで詳しく書いてもアレなので、結果だけ公表すると(大げさなw)。要するに長年聴いてたSPの音がとッてもスバラシくなったと言う、実に超個人的に目出度い結末。蘇る名曲の数々。

- 2007/08/17(金) 05:37:52|
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少し補習に通っている語学学校で原爆の写真展をやっていた。携帯で写したのでザラザラな画質。だけど。8月31日までやっているそうなので(飯田橋下車・日仏学院で)近い方は是非ご覧あれ。特に遺品をオブジェのように撮ったものが印象に残る。
Deux séries de photographies exceptionnelles sont présentées à l'Institut :
YAMAHATA Yosuke «Nagasaki Journey»
YAMAHATA Yosuke est né en 1917 à Singapour dans une famille exerçant dans le domaine de la photographie. De retour au Japon en 1925, il travaille dans la société familiale puis repart en Asie comme photographe de la marine japonaise. Le 9 août 1945, il travaille au département de presse de l'armée à Hakata.
Dépêché dès l'explosion, il arriva à Nagasaki le 10 août 1945 à 3 heures du matin, accompagné de l'artiste Eiji Yamada et de l'écrivain Jun Higashi. Il prend 117 photos avec son Leica qu'il développe le soir même de retour à Hakata. Cette série d'images, «Nagasaki Journey», constitue le plus grand témoignage photographique sur l'état de la ville juste après la bombe. Publiées dans les grands titres de la presse nationale les 21 et 25 août 1945, elles seront ensuite censurées pendant plusieurs années. À partir de 1947 jusqu'à la fin de sa vie en 1966, il ne s'occupera plus que de la société familiale. 休日、部屋の配置換えに勤しんでいると「今日は原爆の日」との市内放送。黙祷。
「原爆投下によって戦争終結が早められた」と言う説があるが、これは落としたアメリカの勝手な言い分。その旧敵国の言う説を、傀儡政権よろしく同じ事を言った大臣もいたが(これじゃあ選挙に負けるのも「仕方が無い」)日本人なら、原爆などで本土決戦を止めようとしなかった軍部(特に陸軍)であった事くらいは知っているはずだのに…。陸軍は天皇の御聖断が下ってからやっと終戦を認めたのだった。尚且つ、それでも、終戦の詔書を天皇自らが録音した玉音盤を奪取してクーデターを決行し、軍部政権を樹立して戦争継続を図った者さえいた(彼らは8月14日から15日未明にかけて、近衛師団長を殺害して偽の師団命令を下し宮城を占領。宮城・師団司令部間を除く全ての通信手段を遮断して天皇を外界から隔離。このクーデターはもうちょっとで成功するところであった)(もっとも、陸軍大臣、東部軍司令官、近衛師団長がクーデター計画に賛同しなかった以上、この計画は最終的には失敗に帰する事は明白であった。が、もし15日未明までに玉音盤奪取が叛乱軍によってなされていたら、15日正午の玉音放送は不可能となり、計画の当初の目的は一応達成されたかも知れない。既に詔書は14日中に公布されていたが、当時の状況では玉音放送がなされなければ到底すんなりと終戦と言うわけには行かなかっただろうから)。
よって、「原爆投下が終戦を早めた」と言う話はこれらの歴史的事実からして全くの嘘。終戦になったのは内閣が閣内不統一で政策決定が出来ず、天皇に直接判断を仰ぐしかなくなったからだ(当時の憲法上この判断は「天皇の非常大権」の発動と解釈して良いと思う)。もし内閣が「戦争継続」(ポツダム宣言を受諾しない事)と言う政策決定を出来ていたとしたら、憲法上天皇はこれをそのまま認めるしかなく、原爆が落ちようがソ連が参戦しようが戦争は終わらなかった筈だ。

話変わって、その配置換えの原因がコレ。ピアノパブ&ある人の強い影響の結果、夜中でも練習出来るようについに電子ピアノを購入してしまった。4、5日苦心の末、本日ようやく設置出来たので早速指の鍛錬を開始したが…指と手首がコチコチに固まっている。特に左指は麻痺状況(泣笑)。たとえ趣味と言えども、これだと酒場のグランドピアノを弾くためには、そうとうな修行が必要である事が判明。
要するに、平和である事の尊さを実感。
- 2007/08/09(木) 05:33:00|
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